五稜郭は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である。
予算書時点から五稜郭の名称は用いられていたが、築造中は亀田役所土塁、または亀田御役所土塁]とも呼ばれたそうです。元は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城の別名を持っているそうです。五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造されたそうです。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊。短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍(蝦夷共和国)に占領され、その本拠となったそうです。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用され、その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となったそうです。
函館は35°以上の猛暑日がなかったそうですが、この日過去最高気温35.4°を記録しました。そのため、公園内の散策は中止して、涼しい五稜郭タワーからの見学に変更しました。