岡倉天心は、1903(明治36)年の5月頃、飛田周山の案内で五浦を訪れ、この地をいたく気に入ったそうです。天心は、二年後には六角堂をかまえ、冬はボストン美術館勤務、夏は五浦の海に遊び、国際的な活躍の拠点としたそうです。1906(明治39)年11月には、日本美術院を五浦の地に移し、岡倉天心、菱田春草、下村観山、木村武山が家族と共に移り住んで制作に励み、近代美術史に輝かしい一ページを刻んだそうです。その六角堂を見学します。
旅情報 その530.五浦さんぽ(6)
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- 2022年8月8日